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 ■ まっか (925)   2011.12.01


 もみじ真っ赤、
 もみじ真っ赤、
 空は青。
 それから曇り、
 それから霙(みぞれ)、
 木枯らし吹いて、
 もみじ真っ赤に散りました。
 もみじ真っ赤に散りました。
 巣ごもり、
 穴ごもり、
 もみじ真っ赤に散りました。
 もみじ真っ赤に散りました。
 それから谷は暗くなり、
 それから夜になりました。
 わたしの喩は今日も見つからず、
 こうして、一日が終わってしまいます。
 また、いちにちが終わってしまいます。
 明日は水も凍るでしょう。
 山は白くなるでしょう。
 
 もみじ真っ赤、
 もみじ真っ赤、
 真っ赤散って、
 山のけものは眠るでしょう。
 まるくやわらかく
 わたしは眠いのです。
 やわらかくまるく
 こころが眠いのです。
 渓流(かわ)の山女魚も眠いのです。
 もみじ真っ赤に散りました。
 もみじ真っ赤に散りました。
 散って流れる水の奥、
 山椒魚(おれ)はぼんやり宇宙を思う。
 ずっと昔を思い出す。
 繰り返し、
 繰り返した、時(とき)の演奏。
 
 ああ、あのときの。
 いや、ごきげんよう。
 どうも、そのせつは。
 じつに、なんですな、
 半減期が数万年?
 そんなのはあっという間でしたな。

 もみじ真っ赤、
 もみじ真っ赤、
 真っ赤散って、山は白く、
 わたしは眠いのです。
 
 


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 ■ キンザザ星 (924) 2011.11.25

 
 
 夜の日課の犬の散歩。
 冬が近づくのは星空で解る。
 大気がそのまま宇宙につながってくる。
 ボタ山のグランド。
 星が全天に降りかかる。
 落葉松の枝を飾って瞬く光。
 ここはキンザザ星。
 愚か者も生きられる星。
 
 冬になれば、物理とバッハが煌めいてくる。
 素数の配列と素粒子間の力学式は近似している。
 数学と宇宙構造は同根している。
 これはバッハ。
 全天にバッハ。
 
 生活の型を日々毎日繰り返す。
 愚劣に地べたを這いずり回り、
 ただ身体と心を見つめる。
 夜は犬と歩く。
 冬が近づくのは星空でわかる。
 虚数の星。
 私と犬と星とで無限。
 無限を抱きしめる。
 ここはキンザザ星。
 愚か者も生きられる星。
 
 
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 ■ 仮設 (923) 2011.11.24


 上の山から下りてきた紅葉が、誰かの筆のように染められて、
 仕事へ向かう谷道が、日々刻々と音色を変える。
 山は引き算を始めた。
 見えなかった幹枝が、空に線刻する。
 在るものは、もともと虚空との関係。
 生きて死に、死んで生きるは時のまぼろし。
 それでも確かに美はありうる。
 あるいは美でしかあり得ぬ。
 こんなに空っぽな筒が、
 ときおり音色を洩らす。
 
 駅裏に出来た仮設住宅を訪ねる機縁があった。
 工事事務所を連ねたような家屋は、屋根勾配がほとんどなく、
 あちこち雨漏りしていた。
 素人でも解る設計・施工不良。
 それを仕事として済ます人心の不良。
 
 警戒区域から逃れた人々が次々この町に集まり、
 人口が3万人は増えた。
 それをやっかい事のように話す原住生活者。
 
 だんだんこういう事象が増えて、
 震災とはこのことかよ。
 
 地割れが出来たり、津波に流されたり、山が崩れたことより、
 人のこころの不意の露われを傷のように突きつけられる。
 歴史が繰り返してきたことが、また繰り返される。
 聖書の世界のような、苛烈な関係性が現前する。

 見えてくるもの。
 引き裂かれたもの。
 加えられる風景。
 忘れられた思い出。
 それらすべてを包み込む喩はあるのか。
 やわらかく、美しく、すこやかな、
 あたらしい喩は作れるのか。

 

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 ■ トラップ (922) 2011.11.19

 
 
 曇天にツワブキの花が光を集めてそこだけが明るい。
 散り残った菊花も路傍に体温を残している。
 霜が降りたので、木の枝にぶら下げたハチトラップを片付けた。
 霜が降りればスズメバチの季節も終わりだ。
 
 9月の活動ぶりは凄かった。
 一日7~8匹はトラップに入り込んで休みなく蠢いていた。
 黄色と黒。
 めいめいが、めいめいの命で助かろうと必死にもがく。
 汚い動き。
 無駄な動き。
 自分の命ばかりが無駄に動いて、汚く、力尽きて、死んでゆく。
 見ていると、こころがざわついた。
 魅せられていたと云っていい。
 
 越冬した女王蜂がどこかに巣を作り、卵を産む。
 卵はミルク色の幼虫になり、蛹になり、時が満ちる。
 脱皮し、翅を乾かし、強靱な躰を得、飛び立つ。
 その後のたくさんの殺生と、生の恍惚。
 それがこんな馬鹿のような罠に入って、助け合うこともなく朽ちてゆく。
 
 私はそれを見ている。
 私はそれを見ている。
 私はそれを見ながら、見られている。
 見ているものは誰か。
 
 一度スズメバチに刺されたことがある。
 クレーンを操作して、植木を下ろしていた時、
 突然耳の後ろに金釘を刺されたような痛みが走った。
 手で叩き落とすとキイロスズメバチだった。
 全身に湿疹が出て、血圧が下がり、心臓が動悸した。
 軽いアナフィラキシーショックだった。
 それからアシナガバチに刺されても、動悸するようになった。
 
 トラップの中の蜂たちは、かさかさに乾いて砕けていた。
 よくみると、さらに小さい虫たちが蠢いて屍体を食い荒らしていた。
 黄色と黒の外殻だけが残され、砕けていた。
 庭土にあけると、風が来て散らしていった。

 私はそれを見ている。
 私はそれを見ている。
 私はそれを見ながら、見られている。
 見ているものは誰なのか。
 



トラップ

 ■ 記憶 (921) 2011.11.18

 
 
 秋の野に柿の実が、ほっ、ほっ、と灯っている。
 朝日を受けて、そこに風景は、じぶんの質点を集めているようだ。
 
 山のひらけたところに、大きなイチョウの木が立っている。
 風が走ると、斜めの光のなかを、黄金が散らばる。
 風はこのとき、一年で、一番の次元をひらく。
 
 稼ぎに山を下りる道すがら、様々な祝祭をみる。
 そこで時は止まる。
 生まれた意味も、死ぬ意味も、消滅する意味も止まる。
 
 ときどき轢かれた山のけものが、止まったままで誰何する。
 木々は裸になり、また氷雪が覆う。
 

 日々は過ぎる。
 色んなものが折りたたまれる。
 記憶も。
 
 
  ばっぱ、はらへった。
  ぺろ作ってくいろ、ぺろ。
 
 祖母が作る自家製うどんは、こども心にあまりうまくはなかった。
 台所は暗く、その壁となりは牛小屋で、
 牛はいつも薄日のなかで、哀しげに立っていた。
 
(ジェルソミーナが農家の納屋の薄暗がりで、障害のある子どもを見つける。
 そのシーンを見るとき、この牛小屋の風景を思い出す)
 
 祖父はよく村の往来の向こうから、酔って大声でわめきながら帰ってきた。
 
  おお、じょうまご、じょうまご、どれ、じっちのとこさこぉ。
  
 酔った祖父は私を抱き寄せて、無理矢理頬ずりする。
 
  じっち、痛で、いでくて、嫌んだ、じっち。
  
 髭跡が痛くて私は抵抗する。
 
 板を渡しただけの外便所には、拭き紙に新聞紙や雑誌が置かれていた。
 祖母は垂れた乳房をぶらぶらさせて、腰巻きひとつで風呂から上がった。
 
 夏のトウモロコシ畑。
 秋の稲刈り。
 畦で食べるにぎりめし。
 
 土間にはブリキのストーブがあった。
 冬はいつも薪柴が、かっかと燃えていた。
 その奥座敷に掘り炬燵があり、大人たちは会うといつも酒を飲んだ。
 
 中三の時だった。
 父と叔父が口論になり、父がいきなりビール瓶で叔父の頭を割った。
 祖母は激高する父を押しとどめようとし、逆に庭に突き飛ばされて腕の骨を折った。
 私は部活の柔道で、父を袈裟固めで地面に押さえた。
 叔父は血だらけで怒鳴っていた。
 祖父は黙って背中をむけていた。
 母はどうしていたっけ。
 月が出ていた。
 
 祖父は胃癌でのたうって死に、祖母は心臓発作で気がついたら死んでいた。
 
 ふたりとも飯舘村の小高い丘の墓地に土葬された。
 いまは土饅頭だけが残っている。
 

記憶

 ■ 芒原 (920) 2011.10.24

 

 雨の中仕事して帰って濡れた靴下を脱ぐ。
 言葉はどこにもない。
 白い犬と闇の村を散歩する。
 山の端が薄明るいが、星はない、月もない。
 iPod で使徒行伝を聞く。
 始まりにも終わりにも言葉はあるのか。
 闇の山の切れたところに谷川は流れる。
 水音。
 ゆくものばかりで言葉はない。
 むかし描いた絵。
 自分ばかりで底がない。
 わたしとは、
 わたしが入り込めないわたしをやることではないか。
 自己史は夢幻のまやかし。
 朝。
 不幸に苛まされて小便し、顔を洗う。
 不幸の来歴に意味はない。
 幸福ばかりを追い求めよう。
 幸福は、わたしが入り込めないわたしだから。
 今ならススキが穂を満面に垂れて、野を透き通す。
 アケビが割れて熟れた内面を晒す。
 ねこが縁側で眠っている。
 日差しはななめ。
 こころは模様ばかり。
 いちめんのすすきのはら。


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 (南相馬市磐城太田駅風景)


 ■ 半月の夜 (919) 2011.10.09



 半月の夜 白い犬と歩きます
 金木犀の薫りほのかに
 今日はふくろうが鳴きません

 グランドを回って 選炭場があった坂道に来ると
 向こうの山の端が 薄青くたたずんでいます
 なるほどあの山と山のあいだが谷になって
 そこにはやはり川が流れているのですね
 
 その川は私の借家の横を流れ 毎日水音をさせています
 暑い日にはその川の少し上流の方まで 犬を連れ 川に放してやりました
 犬は笑い顔で水に入り 鴨のつがいを追ったりしました
 ヤマメがときおり水面を跳ねます
 
 いつも犬を放つのは、その川にいくつかある堰のある場所で、
 4月の大きな地震で断層が走り 村を真っ二つにした地割れがあります
 このあいだまで京都の大学が調査に来ていました
 大きく穴を掘って 地層の褶曲を捉えていました
 
 わたしは毎日働いています
 今年は除染を兼ねてか 剪定の依頼が多いのです
 このあいだは福島まで遠征して仕事してきました
 南相馬から避難したお客さんの 身寄り先の
 親戚の家のお手入れでした

 連絡が取れず心配していたお客さんは 少しやつれておられました
 一緒に避難した双葉町の妹さんは
 避難の最中に旦那さんを亡くしておられました
 
 計画的避難地域解除を受けて 今度南相馬に帰るのだそうです
 妹さんとも一緒に住むのだそうです
 妹さんの双葉町の家も お二人のご実家の大熊町にも
 しばらく帰れそうにありません
 
 わたしはそのご実家のお庭の手入れにも 毎年二回入っていました
 石倉の立派な もとは造り酒屋の旧家です
 石倉の脇には 大きな大きな 金木犀がありました
 いまごろは静かに たくさんの花を散らしていることでしょう
  
 半月の夜 白い犬と歩きます
 金木犀の薫りほのかに
 今日はふくろうが鳴きません


 
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 ■ 四倉風景(918) 2011.10.06

 


 (はさ架けの稲田に咲き遅れの彼岸花)
 
 漁師町で高い木にかじりついていると
 足下を 狂ったおばさんが行き来する

 狂った人はいつもひとりだ
 世界中に自分が満ちて
 見たこともない津波が押し寄せている

 秋は不安が形象する
 すすきの穂が はらりと開いたのは
 虚無がひとつ そこでほどけたからだ
 
 柿の実が ほとりと落ちたのは
 宇宙があまりにたくさんだからだ
 
 色は移ろい 時は重ねられる
 いまなすべきことを ただ成し遂げよ
 そして生き続けよ

 この町にも津波は襲い
 たくさんの時間を消し変えた
 
 残されたひとびとはやさしくなり
 それぞれの物語を抱きしめた

 生きることが あまりに辛いのは
 あなたが悪いからではない
 
 人間はどこから来て どこへゆくのか
 だれも分からない
 
 狂ったおばさんは何度も膨らむ津波を抱えて
 どこから来て どこへゆくのだろう
 

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■ 秋の日 (917) 2011.09.30

 ずっと待っているのですけれど
 それはなかなか来ないのです
 
 (今日もきょうとて日が過ぎた
  あすはどうなる もう秋だ)
 
 秋の日は水晶のよう
 稲田の刈取りも 進みました
 
 (わたしはどこまでいったやら
  遠い銀河も渦巻いた)
 
 あるのはたくさんの距離ばかり
 草刈の目を上げると
 まん丸いヤマボウシの実が
 紅く軟らかく甘酸っぱく
 (そしてその幹にシマヘビが縦にからんで陽を浴びていました)
 
 夜になってフクロウが「ほろすけ、ほう」と鳴きました
 わたしは犬とずんずん歩きました
 歩かないと脚がどんどん細くなります

 (中途半端にノートがたまる
  書きかけの言葉ばかりが)
 
 さてわたしは夜のグランドで
 犬と銀河を歩き疲れた
 たくさんの距離に
 時間ばかりが浸食していた
 犬は何年生きるだろう
 犬はどこまで犬だろう
 
 (ずっと待っているのですけれど
  それはなかなか来ないのです)

 わたしの堆肥場からは
 カブトムシがたくさん夜を飛び
 いまはもう誰もいません
 カブトムシも、死にました
 夏は終わったのですから
 闇のなかで
 カブトムシの匂いがすることは、もうないのです
 
 (今日もきょうとて日が過ぎた)

 柿の実が色づいて
 秋の斜めの日差しのなかで
 スズメバチがそれをねぶっています
 わたしはスズメバチと対峙します
 殺し殺される関係です
 
 こんな次元に重なっている
 あるいはそんな重なりが開いている
 わたしはどこまでいったやら
 遠い銀河も渦巻いた
 

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■ 墓の花 (916) 2011.08.22



 夢をみなくなった。
 見ているのだけれど、それは夢ではなくなった。
 見るのはただ現実の断片。
 夢は現実のあれやこれやで構成されるようになった。
 
 私は夢をみなくなった。
 みんなそうなのだろうか。
 映画を見ても、本を読んでも、夢のようだとは思えなくなった。
 どこかで見聞きした安い定型の偏差。
 そんなものが私を覆うようになった。
 
 今日は雨上がりに草刈をした。
 駐車場や、堆肥場の通路や、植木畑。
 ひと月以上、ほったらかしていた。
 植物は動物になってました。
 高い植木に蔓が龍のようにからみついていましたよ。
 こんなのは夢に近いのかも知れない。
 
 私は思い出すこともなくなった。
 もっと若い頃は、色んな思い出にぐっしょり濡れていたのにね。
 路地を曲がるごとに、思い出は立ち上がり、襲いかかってきた。
 歩くごとに私はずぶずぶ。
 なんて生き物をやっているんだろうと疲れ果てた。
 
 さかな。
 鳥。
 虫?
 素粒子?
 
 いや、いや、忘れてしまいました。
 あれは、あなただったのでしょう。
 
 猫が鳴くので猫を抱くと、
 猫は歳月のような生温かさで、私の膝に重い。
 この猫が生まれる前の世界を知っているし、
 たぶん、死んだ後の世界も知るだろう。
 
 外には秋虫。
 眠る私の内や外を鳴いている。
 私は夢をみない。
 思い出すこともなくなった。
  
 
 
 
 
 あのとき、

 海が膨らんだ。
 地が割れた。
 建物が倒れた。
 原発が爆発した。
 人間は蟻のように右往左往した。
 そのとき鳥はどこへいただろう。
 鳥のことは見なかった。
 そのとき魚はどこへいただろう。
 魚のことも見なかった。
 ただ津波にやられて、電気が止まって、
 水族館の魚がやられたらしい。
 橋の下に潰れたクルマがひっかかっている。
 道路に1mもの段差ができている。
 水道管が千切られ、蛇口の水は止まった。
 ホームセンターのポリタンクがなくなった。
 ガソリン携行缶もなくなった。
 土嚢袋も、コンパネも、ブルーシートもなくなった。
 スーパーが閉まった。
 コンビニも閉まった。
 ガソリンスタンドも閉まった。
 みな家に籠もってテレビをみていた。
 ラジオを聞いていた。
 ネットを探していた。
 
 
 
 あれからもうすぐ半年です。
 
 
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