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 ■ 夜明け (928) 2012.01.14

 

 松の内も明けて、いよいよ仕事始めという寒い午後、
 母が自殺を図った。
 携帯に、父から半泣きの電話がかかってきた。
 今、病院の処置室前だという。
 
 母は70歳。
 ここ十数年、鬱の症状を訴えていた。
 父が出かける前に、二階の母の寝室を覗くと、
 溜め込んだ睡眠薬をまさに飲み込んだ所だった。
 口に指を入れ、背中をたたいても吐かなかった。
 そのうち意識を失い、脱力した。
 父は老いた身体で二階から母を背負い下ろし、
 自車で病院に連れていこうとしたが、適わないので救急車を呼んだ。
 いま処置してもらっている、結果が出たら知らせると父は電話を切った。
 
 私はぼんやりと自分の感情を探していた。
 丁度出先から帰ってきた妻が内容を知り、
 「すぐに行かなきゃ駄目!」と、荷物をまとめだした。
 
 南相馬まで二時間半、妻が運転した。
 妻は雄々しかった。
 正月に通ったばかりの同じ道。ときおり吹雪いた。
 私の口からは、母への憤りの言葉ばかりが出ていた。

 子どもの頃から愛の薄いひとだった。
 結婚当初の苦労話の中で、
 「おまえは堕ろすはずの子だった」と言ったことがある。
 子どもの前で不用意な発言だと気づきもせず、
 母は自分の苦労ばかりを言いつのる、そんなひとだった。
 私はその時、自分の不安定な気質の説明がついたようで、
 妙に腑に落ちた。
 
 病院に着くと、胃洗浄を終えた母は、点滴に繋がれて寝ていた。
 側に憔悴した父がいた。
 母の命に別状はなかった。
 ただ看護士に、再発防止のために、今晩一晩付き添ってほしい、と言われ、
 妻と父を帰して、私ひとりが残った。
 
 病室には椅子しかなく、夜は暖房が切られた。
 二時間に一度くらいずつ、看護士が見回りにきた。
 この病院は震災と原発災害で閉鎖され、
 最近ようやく部分的に再開したと報道されていた。
 だがスタッフの士気は高く、気配りが行き届いていた。
 私は医療に対する不信があったが、このことに驚き、胸が詰まった。
 
 母は夜中に何度か目を覚まし、まだろれつの回らない口で、私と喋った。
 失敗した、と言った。
 あまり反省していないようだった。
 他人事のように冷静だった。
 ときおり皮肉な眼で私を見た。
 生きていても何もいいことはない。
 パチンコをしているときだけが嫌なことを忘れられる。
 遺書はもう読んだか。
 あれはもうずいぶん前から準備していた。
 生きることは地獄のようだ。
 
 母さん。
 自分のことばかり言いつのる母さん。
 私たちの何かを壊してしまった母さん。
 どんな暗い洞窟にいるのですか。
 
 それでも母は私が寒かろうと、自分のベットの毛布を使えといった。
 いつの間にか夜が明け、窓の外が白々と見えてきた。
 津波のせいか、海側の景色がずいぶん開けてみえた。
 水は病院のすぐ手前まで押し寄せた。
 この先の集落は壊滅した。
 墓地も流された。
 
 たくさんの悲しみが時の流れの中で立ちつくしている。
 それでも少しずつ時は何かを変えてゆく。
 あるものはただあるのではなく、関係のなかにあるものである。
 あるものが関係しているのではなく、関係としてあるのだ。
 止まったままの母の時が動き出しますように。
 悲しみがほぐれますように。
 
 

 
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