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 ■ 余白の音(909) 2011.05.01

 五月。
 山川がやさしく笑っている。
 身を構成する分子のひとつひとつが甦る。
 生きるとはこの身を何かが奏鳴してゆくことか。
 
 私たちの真ん中には空洞があり、ときおり笛のように鳴る。
 音が聞こえて初めて、私たちは自身を知る。
 自分の音色。
 生存の感覚。
 
 世界には階層があり、たくさんのレイヤーが覆っている。
 一枚の面を縦様に見ると、びっしりと層が積み重なっている。
 それぞれの層の余白を埋めるように、上の層が描かれている。
 あるいは塗り重ねられて。
 
 私には私の余白がある。
 そのことで私は疼き、私は奏動する。
 私の音。
 私の生の面には余白がたくさんある。
 それが鳴れば、私には全体が鳴っている。
 全体の音。
 私の身体性。
 
CIMG2570 (800x600) (640x480)


 
 今度の震災後、様々なレイヤーが重なる中、はっきりした構造がある。
 人々は、まだ何か大きな陰謀や権力があると信じて、
 それと闘わなければならないと訴えている。
 私にはそんなものがあるとは思えない。
 あるのは制度疲労で、下手な役者が自分の役回りを嘆いている三文舞台だ。

 陰謀や権力は、
 どこかに大きな権力や陰謀があるぞ、
 今度の津波も放射能も、そいつらの仕業だ、
 などどいい回っている市民自身の中にある。
 私たちは騙された。
 私たちは何も悪いことをしていない。
 これらの人々のなかに、権力は巣くっている。
 
 そのことに自覚的でなしに、三文舞台を批判してもしょうがない。
 舞台は観客席の反映だ。
 むしろ群れとなった観客の方が私は怖い。
 
 群れはそのうち暴走する。
 それを止めることは、この舞台には無理な話だ。
 舞台と観客は同じ地層にすぎないから。
 
 山川がやさしく笑っている。
 身を構成する分子のひとつひとつが甦る。
 自分の音色。
 生存の感覚。
 私の余白。
 余白の音。
 
 私は私の余白を通して、私の全体が鳴る音を探し続けるしかない。
 この日常を愛おしみながら。

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