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 ■ 原発のこと 2 (907) 2011.04.23


 前回の文章を書いた、4月11日の夕方、震度6弱の直下型地震が来た。
 玄関のガラスが割れ、柱が歪み、本が散乱した。
 震源はまさにこの地で、村を南北に貫くように地割れが出来た。
 近くの中学校の体育館は傾いた。
 また断水し、ネットが繋がらなくなった。
 
 翌日、山の水を汲みに林道を走っていた昼過ぎ、また震度6弱の揺れが来た。
 震源はふもとの町。
 苦労して鉄筋を入れ、積み上げ直した大谷石塀が、きれいに倒れた。
 
 余震が頻繁になり、4.11の夜は3分おきくらいに、発破をかけたような地鳴りがした。
 あちこちの山が崩れ、道路が寸断され、集落が孤立しそうになった。
 空き地にクルマを停め、車中で眠る人が増えた。
 
 津波を除けば、3.11より今度の方があきらかに被害が大きかった。
 私はカメムシをかみつぶしたような顔で、倒れた塀の撤去作業をした。
 夜は、脇を流れる川からバケツで水を汲んで風呂に入った。
 水は濁っていた。
 
 それから1週間して、水が出た。
 ヒネルトジャー、ひねるとジャーと言って喜んだ。
 10日経ってネットも繋がった。
 ようやく身体の器官が戻った気になった。
 
 さて、原発のことを書こうと思ったのだ。
 今度のことがあって、色々勉強してみた率直な感想は、
 原子力は思ったよりしっかりした科学だ、ということだった。
 もっと危うい綱渡りの上に成り立っているものだと思っていた。
 だから無条件に、原発が嫌いだった。
 電力会社も、国策として原子力利用を掲げる国も信用ならなかった。
 原発の雇用と補助金目当てで生活を組み立てているわが古里の人々にも、
 我慢がならなかった。
 地元自治体は、東電の事故隠しの後、県が稼働を止めていた間、
 何度も再稼働を認めてくれと、陳情書を出していたのだ。
 いつか厄災が来て、大きなしっぺ返しが来るにちがいない。
 
 そして今度の事態になった。
 東電や保安院や政府のお粗末さは、
 私たち自身の危機管理の甘さに見合ったものでしかない。
 そのことと原子力利用の科学は、別レベルで考えなければならない。
 物質の持つ力を究明しようとする科学の態度は、
 人間の叡智の現れの一つだ。
 そのことを、陰謀論や、無菌主義で覆ってはならない。
 
 風評問題に表れるように、今度のことは私たちの品性、
 人間性の構造を新たに暴き出した。
 冷静でいるつもりの者は、遠くから表徴を振りかざして、
 何か言ったような気になっている。
 自分の身体、自分の現場、自分の生活を言葉することが出来ず、
 いつも上から目線で事態を解釈する。
 東電や政府を批判することで、自分は手を汚していないと決め込むのだ。
 
 そういう「他人事」性が、現地に留まる私たちを傷める。
 私たちに欲しいのは、具体的な復旧の道筋だ。
 「がんばろう」でも、「○×が悪い」でも、「□◇の陰謀だ」でもなく、
 汚染された土地で、百姓や漁や生活が、もう一度始められること。
 野や山や庭を楽しめること。
 自分の家に帰って家族が集まれること。
 たったそれだけのことだ。
 たったそれだけのことだが、そのことの中にしか、答えはない。
 そのことが出来たとき初めて、
 私たちは未来に立てるだろう。
 
 
 
 (嫁のブログ)



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