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 ■ 原発のこと(906) 2011.04.23


 3号機が黒煙を上げた14日は断水したお客さん宅に水を配っていた。
 午前中より午後に回ったお客さんの表情が険しくなっていると思ったが、昼のニュースで爆発の映像が流れたためと後で知った。
 その夜の原子炉の空焚き騒ぎ。
 テレビがないので、携帯ワンセグの小さい画面でニュースを見て、避難を決めた。
 
 翌朝、水戸の妹宅に向かい、その途中で燃料を補給し、南相馬の両親を救出する準備を整えた。
 16日、阿武隈高原の谷間の国道349号を北上して、川俣町の手前で、飯舘村の叔父と合流した。
 叔父は燃料に不安のある私たちの為に、途中まで両親を送ってくれたのだ。
 それから一週間、水戸で原発の推移を見守り、いわきに戻ってきた。
 両親は妹宅に預けてきた。
 父はストレスからか、下血を出し、母は持病の鬱と人格障害を悪化させ、妹家族を困らせていた。
 
 事故から1ヶ月近く経った一昨日(4月9日)、父と南相馬の様子を見に行った。
 実家のある原町区、市役所近くの家は平穏で、地震による被害もほとんどなかった。
 屋内退避区域だが、人出もだいぶあった。
 南相馬市長が切実に訴えたように、一時はゴーストタウン化していたのだ。
 
 それから父の里の鹿島区大内に向かった。
 6号国道から海側に広がっていた美田は、みな泥沼と化し、漁船がその中に幾艘も横倒しになっていた。
 集落のあった辺りは瓦礫と化し、海岸から流された黒松の巨木が、根こそぎ流されてきていた。
 父は知人や縁者の家のあったところを見つけては、声にならない声を漏らした。
 
 津波では、従姉の家が流され、旦那と舅姑を亡くした。
 私の行っていた高校の体育館で遺体を確認した、という。
 姑が長らく行方不明だったが、つい先日焼却された遺骸写真で確認できた。
 
 父の実家を守っていた長兄(90歳)は、高台にある東の畑から津波が来るのを目撃したという。
 悪魔のような黒いものが、次々に集落を飲み込んで、自分のすぐ下の集落まで来たという。
 私は子供の頃から、この高台で海を眺めていた。
 時おり、津波を幻視して、こんなものを書いた。
 
 http://www.ne.jp/asahi/hiding/base/matukichi/coo/coo08.html
 
 20年くらい前に書いたものだが、現実の津波は無論こんなものではなかった。
 それは伯父の言うように、黒い悪魔だった。
 
 
 (4月11日 午前記す)

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